喋れなくなった人の話

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2月になってしまいましたが、あけましておめでとうございます。
今年もよろしくおねがいします。

超不定期に更新しているこのブログも、2012年10月の開始から数えて6年と3ヶ月、まさかこんなに続くとは我ながら驚きです。

さて、1記事も更新しなかった2019年の1月は、

台湾に行ったり、

台北の妹(と僕が勝手に思っている)「羽ちゃん」と

六本木ヒルズで儲けましょう系のセミナー開いたり、

中身は「中国ゲーム市場の勉強会」という怪しくないまっとうなセミナーです

って感じで過ごしておりました。

みたいなことを書いていると、「加藤さんってコミュ力高いですよね」とか、「エネルギッシュですね」とか、なんだか非常に前向きでどんどん進んでいける人みたいに言われることが多くなってきました。
まあそういう風に僕が誘導しているフシもあるのでアレなんですが、
ブログを読みに来てくれるくらいに僕に興味を持ってくれている方向けに、ちょっとだけ昔話をしたいと思います。

あまり楽しい話ではないので、興味のない方はここで閉じることをおすすめします。

さて、僕は二十歳くらいの頃、1年くらい言葉が喋れなかったことがあります。
比喩ではなく、鬱だったとかそういうことでもなく(多分)、文字通り言葉が喋れなくなってました。
あ、喉の怪我とか病気とかでもありません。純粋に言葉を全て忘れていました。

え、何?どういうこと?と思うかもしれませんが、「言葉を忘れてしまったので、喋れなかった」というのが正確な表現です。

その頃僕は九州の実家を出て京都に一人で住んでいました。高校を出て2年経っていましたが、色々あって大学には行かず、かといって仕事をしているわけでもなく、多少金銭的に恵まれた家庭だったこともあり、親の金でプラプラしていました。
形だけは受験浪人生ということになっていましたが、バイクを買って山中越を走り回ったり、祇園や木屋町に繰り出したりしてダメ人間生活を謳歌していました。

楽しそうですねと思うかもしれませんが、インターネットも無い時代で、世の中を知らない若造が新しいコミュニティに入っていくのは大変なことでした。お金だけは毎月十分に実家から振り込まれていたのでアルバイトをすることも無く、日々ダラダラと過ごすうちに、僕は次第に社会と関わらなくなっていきました。

そこからの記憶は曖昧です。
人と話さない生活が数ヶ月続くと、人は言葉を忘れます。
言葉を忘れると記憶を正確に留めることができなくなるようです。その時だけでなくそれ以前の記憶も曖昧になってきます。現代人はおそらく言葉を媒介として記憶を定着させているのでしょう。
従ってその頃のはっきりとした記憶が残っていません。それ以前の記憶もぼんやりとしたような状態だったように思います。

幸いにして僕は短期間でその状況から抜け出しました。
ほとんど話せない僕の口元に耳を近付けて、かすかな声を聞き取り会話をしてくれる人が何人かいました。その人達のお蔭で、僕は言葉と記憶を取り戻し、人間に戻りました。

その間、僕の理性を薄っすらと保ったのはゲームだったと思います。
ゲームだけは多分毎日やっていました。
当時は初代プレイステーションの時代で、FFタクティクスをプレイしていた記憶があります。
ゲーム内の文字は読めたのでしょう。多分。

数年かけて僕は自分の精神をかなり意図的に、人工的にと言っても良いくらいに、苦労して再構築しました。この話を臨床心理士などにすると非常に稀有な例だと驚かれますが、確かにそれは危うい作業だったと思います。
僕はおそらく、ゲームが好きだという軸を中心に、そこにまつわる自分の精神を少しずつ巻き取るように取り戻していきました。

言葉を忘れてしまった僕の話はここでおしまいです。
核心部分に関してはあまり記憶が無いので、これ以上語ることができません。

僕はゲームに救われ、ゲームによって精神を作りました。僕の人格が幼少時代から今に至るまで連続的に存在しているのはゲームのおかげです。
だから僕は、ゲームに関する事柄はかなり強引に進めることができるのかもしれません。それが世の中的には前向きな行動に映るのでしょう。

きっと何でも良いのです。
これだけは、というものが誰しもにあるはずです。

あなたはゲームが好きでしょうか。であれば、きっとゲームはいつかあなたを救ってくれます。
ゲームが好きではないですか?じゃあ他になにか好きなものはありますか?何でも良いのです。大事にしてください。それが好きだというのはとても大切なことです。

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