人生の時間軸に価値の差は無いのではないかという話
少し前、私のSNSのタイムラインには
「若い時間の方にこそ価値があり、人生のウエイトは若いうちにある。人生は若いうちが勝負」
「人生の体感時間は若いうちの方が長い。従って若い頃の時間と老いてからの時間は等価ではない」
というような投稿が複数回見られました。
それらの投稿は概ね賛同を得ているようでした。
この主張には確かに正しい側面があると思います。
若い頃の経験はその後の人生の大きな財産になりますし、若いからこそできること、感じられることもたくさんあるでしょう。
若くして苦労し努力してきた人は、その後の人生の中で目標を叶える可能性も高まるでしょう。何かにチャレンジするときに若い内に始めた方が有利であることも間違い無いと思います。
人生が有限であると感じさせる意味で、重要な事を示していると思います。
しかし私はこの考え方はちょっと危険だなとも感じます。
現代の日本においては、今生きている人の総計を見れば若くない人の方が多いですよね。少なくとも日本人の多くは若くない時期の方を人生の中でより長く過ごします。
「若い」とされる期間が例えば30年だとして、平均寿命的にはその後約50年以上も生きるのです。
では30歳になった時に「やりたいことがあまりできなかったな」「あまり努力してこなかったな」という人は、その後の人生は今までよりも更に価値が無いものとして生きるしかないのでしょうか。
50歳になった時、60歳になった時、徐々に価値が減っていく残り時間を眺めて過ごすしかないのでしょうか。
若い人と老いた人を並べたときに、若い人により多くの機会を与える社会は正しいと思います。社会の富は次の世代に引き継がれるべきだからです。
しかし1人の人間の若い時と老いた時とを並べて、若い時こそ価値があるというのは、私は全く違うと感じます。18歳の自分には18歳の価値が、38歳の自分には38歳の価値が、78歳の自分には78歳の価値が存在するはずです。
人生の若い時期に、心身の病や、経済的問題や、家庭事情などで、「努力する」「行動する」「選択する」「経験する」ということに気が付かなかったり、その強さを持てなかったり、その対象が見つからなかった場合、その不幸はもう取り返せない。そんなことは絶対に無いはずです。いつからだってそこからやり始めれば良いはずです。
40歳になって「プロ野球選手になりたかった」というような希望は叶わないと思います。そういう種類のものでなくても、開始が遅かったために達成できなかった、ということもあるでしょう。
しかしそれはそれとして、それも踏まえてその後豊かな人生を歩むことは十分に可能だと思うのです。
若い時間にこそ価値があると信じてしまえば、今から頑張る、やり始める、というのはどんどん難しくなるでしょう。それこそがまさに不幸です。
人生のどの時期がより重要か、などというようなことは考えずに、あるいは常に大事な時間だという認識で、いつだって今からやり始めればそれで良いのではないかと私は思うのです。