ウェブメディアのジレンマ

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ウェブメディアの一つの特徴は、個人や小さな組織でも運営し収益化できることにある。
それによって、大きなテレビなどの大きなメディアが取り上げないようなことも情報として世に出すことができ、人々はインターネットを通じてその情報を得ることができる。

様々なウェブ上の広告技術(アドテク)の発展によって、かなり初期の段階からウェブメディアの収益化が可能になった。簡単ではないにせよ、ウェブメディアを収益化して個人や小さな組織が食っていくだけの収益は、ある程度の努力で可能になった。

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インターネットとアドテクが普及する前は存在しなかった「小さなウェブメディア」が存続できるようになり、それらはそれらの価値観と感性に従って、様々な情報を発信することができるようになった。
アクセスがあり広告が表示されている限り、メディアは自由だ!

私が運営しているようなある程度小さなウェブメディアは、私たちでなければ光を当てないような事柄を発信することができる。程よい小ささのウェブメディアは社会にあまり掣肘されずに自由に立ち回ることができる。
そこに居心地が良いと感じるスタッフが集まり、ウェブメディアはその特徴を明らかにしていく。

ユーザーが支持する限り、ウェブメディアの収益は保たれ存続できる。

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しかしある時、問題に気づく。

私たちが価値があると思って掲載する「小さな事象」を取り上げた記事は、ほとんどアクセスされない。
育てたメディアの力を使って、将来性のある、可能性のあるプロダクトを取り上げたとしても、人々はまだそのプロダクトの価値を知らずプロダクトの名前も知らないから、主体的にその記事にはたどり着かない。

ウェブメディアは、世の中が現時点で興味を持たない事柄に人を集める事には向いていない。

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ではウェブメディアは、世の中の多くの人が興味を示すことを追いかけていくのが正解なのか。

それも多分ちょっと違う。
メディアは自分が属する業界と相互補助の関係にある。
例えばゲームメディアは、ゲーム業界があるからこそ利益があり、したがってゲーム業界がより発展するようにその力の一部を使うべきだ。その方がゲームメディアビジネスは儲かるし継続するだろうから。

でもそれって、どうやったらビジネスとしてウェブメディアの中で矛盾なく成立するんだろうか。

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