投資 三度の失敗と収穫

昔話 15年前

ちょうど15年ほど前、私は人生で最も貧乏な時期を過ごしていた。
それはもう本当に貧乏で、1日に使えるお金は合計で100円。
食費が100円では無い。合計だ。
電車で往復すと、次の日は使うお金が無いという事だ。

近くのコンビニに行き、100円で買える最もカロリーの高いパンを探し、それを食べて生きていた。

電気やガスは当然のように止まった。
水道はギリギリ止まらなかった気がする。(多分。あまり記憶が無い。)
携帯?止まる以前に充電ができない。

faucet-686958_1280

私が貧乏だったのは誰が悪いわけでもなかったが、

私は1日に1つのパンをかじりながら、「みじめ」という言葉の意味を心から知った。

ただ貧乏だった。

投資失敗 1つ目

起業後、私は何か新しいウェブサービスを作ろうと考えていた。
出来れば教育に関連するものが良いと思っていたので、動画サービスはどうだろうと考えた。

YouTubeは既にあったが、その中で戦うのでは無くて、YouTubeができない事を違うプラットフォームを作ってサービスを提供したいと考えていた。

動画は本来学習に向いている。テキストと絵だけで説明されるよりも、言葉や動く映像で説明された方が何倍も分かりやすい事は多い。紙の教材はその良さがあるが、同等の水準で動画教材の良さもあるだろう。
動画の学習サービスがイマイチぱっとしていないのは、「コンテンツがつまらない」ことと「メモなどの記録を残しにくい」事だろうと私は考えた。

man-791049_1280

コンテンツについては、周囲に声を掛けて解決することにした。
「教育要素のある面白い動画のプラットフォーム」という話は意外と色々な人の関心を集め、ベータ版ができたら是非協力したいという人が何人も現れた。

学習に向かない既存の動画サービスのインターフェースの問題は、技術開発で解決することにした。
動画のタイムラインにピンを挿し、そこにメモを挟む。
これにより教科書の特定のページに付箋を貼るように、動画の特定の位置にピンを挿してメモをすることができる。
メモは後から横断的に検索でき、関連する動画をカード形式で閲覧することができる。

ソーシャル要素を持たせることで、動画学習の孤独感を解消する。
基本無料で動画広告を収益の軸とする。

私はテスト版の開発をある個人を通して海外に発注した。
動画にメモを挟むシステム含め、企画にあるシステムは全て開発可能との返答だった。
開発を進めながら、コンテンツを作成してもらうためのPRなどを少しずつ進めて行った。

この開発は最終的に失敗に終わった。
開発が全く予定通りに進まない、というよりは、「予定」という言葉が理解されていなかった。
納期の直前まで「大丈夫」と言っていたシステムは、直前になっても「ほとんど」出来ていなかった。
何かあれば事前に連絡が来るだろう、とのんきに思っていた私は大いに慌てた。
精緻にコントロールするには開発チームはあまりに遠く、文化も異なり、そして私も未熟であった。

システムが稼働することを前提に日本で仲間集めをしていた私は、最終的に方々に頭を下げ、この開発をストップした。
投資したお金と時間は惜しかったが、これ以上の継続は信頼を損ねるだけだ。

この投資は1円の収益も生み出さなかったが、別のところで収穫を得た。

海外の開発チームとの間に入ってくれた青年は私より10歳も若く、私よりもITの知識は無かったが、
十分な英語力と、そして真面目さと実直さを持っていた。
彼自身もまた自分で事業を持つことを希望していたので、すぐに私の会社に迎え入れることは難しいだろうと思ったが、私はどうにかして彼を自分の事業に関係させたいと考えた。

彼は今尚私の会社には所属していないが、いくつかの共同プロジェクトを経て、現在は私の会社のサービスの一つの取り回しをやってくれている。
下請けやってもらっているのではなく、私が「どうかこれを一緒にやってくれませんか」とお願いをしたのだ。

私は自分のランチ代の約5年分くらいの投資をきっかけとして、彼を仲間にすることができた。
動画サービスの開発失敗から約2年。

結果としてこの投資は成功だったかもしれない。

投資失敗 2つ目

会社を立ち上げた当初、加藤が起業したという話が昔の仕事の同僚に伝わり、
「手伝わせてほしい」という申し出があった。

彼は優秀だったと私は記憶しており、私は彼の申し出を受け入れた。

businessmen-42691_1280

金銭的な対価を介在させず、やっている事の面白さと将来性を糧として、最初はそれなりにうまく回っていた。
彼は職場の同僚数人に声をかけチームを作り、ウェブサイトの運営の方向性を決め、一定の数字を残した。

しかし、成果はそこで止まる。

彼の作ったチームは次第に稼働しなくなり、渡した予算は明細が無いままに曖昧に消えていった。
彼らは新たなシステムの導入を嫌い発展させることに消極的だった。
一定の数字はあくまで一定の数字であって、事業体としては全く十分ではなかったから、この運営では駄目であることは明白だった。
私は数か月掛けて彼らの稼働が自然に消滅するのを待ち、その後サイトの運営を自分の手に戻した。
翌月にサイトの数字は倍になり、その後現在もなお成長中である。(だから、礎を作ってくれた点では、彼らには今も感謝している)

チームが自然に消滅しかけていたころ、私は時間が少し余っていたこともあって、資金を投下して新たなウェブサイトを作ろうと考えていた。
それに彼が「自分にやらせてほしい」と言ってきた。
私は若干不安であったが、「人脈を使って優秀なチームを新たに作る」という彼の言葉を信じることにした。

私は彼に十分な予算を渡し、さらに数回に渡る予算の追加を行ったが、最終的にこれはほとんど何の成果も生まなかった。

彼と最後の食事をしながら、私は「どうする?」と質問したが、彼の返答は「何とかしたいと思っている」だった。
約束の期日を半年以上過ぎ、間近の数か月は進捗の報告も無く、渡した予算の使用明細も出せない状況で、「何とかしたいと思っている」と彼は言った。

彼は「できないと言えない人」だった。

この投資の失敗は私に多くの教訓を与えた。

1.サラリーマンとして優秀な人材が起業家として優秀とは限らない
2.その人が「今何をやっているか」はとても大切
3.相手はリスクを取っているのか
4.継続的に地味な仕事をする能力は必要である
5.何かやる度に「金が掛かる」は嘘
6.相手の能力以上の期待をしてはいけない
7.引導を渡してやらねば負けられない人もいる
8.技術はなるべく内に持つべき
etc…

私は彼の人柄と能力を信じていたし、恐らく彼も最初は楽しんで一生懸命にやっていた。
しかし現実は簡単では無い。
次第に周囲の動きは鈍くなり、約束したものを加藤に示すことができない。
私は彼からの自主的な報告を待っていたが、本当はもっと早く引導を渡してあげるべきであった。これは失敗したのだ、と彼に言う勇気がその時私には無かった。何とか逆転してくれと祈る気持ちがあったが、それが結果的に彼からチャンスを奪った。
冷静に考えれば「だから彼は起業していないのだ」。

彼は最後に私に約束した。
「使ってしまった予算を返すために、新しいウェブサービスを来月までに考える。企画ができたら連絡をする。今度は加藤がお金を出す必要は無い。」

その後彼から連絡は無かったので、私は文書で関係終了の意志を伝えた。

投資失敗 3つ目

私の会社がまだ明確な収益の軸を持っていなかった頃、
それでも最も強い武器はウェブサイトの運営だったから、私は会社の仲間と新しいウェブサイトの構想を話し合った。

私の仲間は元々医療機器メーカーの仕事をしており、私の父は医師だったから、我々はそのネットワークを使って

「素人にも分かりやすく、正確な医療情報を得られるウェブサイト」

を作ろうと考えた。

medic-563423_1280

彼の医療機器メーカー時代の専門と、私の父の専門を加味して「心疾患」に関する情報サイトにすると定めた。

このサイトは、日本人の主な死因の1つである心疾患についての正確な情報を、学会資料や医療関連文献からの論拠を得て、分かりやすく掲載することを目的とした。

彼は昔の職場の仲間に連絡を取り、その医療機器メーカーの副社長にプレゼンを行い(流暢な英語だった!)、予算と資料面での協力を取り付けることに成功した。
私は父に連絡を取り、このサイトの専門家アドバイザーへの就任を依頼した。
この企画には何と外部から予算も付いた。

我々はサイトの作成を専門業者に依頼し、デザイナーも入れ、さらにはライターやイラストレーターを数人使ってコンテンツを作り始めた。

順調であったが、すぐに雲行きが怪しくなった。

色々あったが、最も困ったのはサポートしてくれるはずの医療機器メーカーからの連絡が途絶えがちであることだった。
こちらから連絡をしても返信が無い。
予算はともかく、彼らから入手するはずの最新の学会情報はこの企画の肝だったから、そこが潰えると企画そのものが成立しない。
我々が日本社会に正しい情報を流すことで、その外資系の医療機器メーカーは間接的に日本市場の開拓ができる。
薬事法も十分に加味したうえでのWinWinの関係のはずだった。

最終的に我々は彼らのオフィスに行ってもう一度話を聞いたが、彼らの言い分は「忙しい」だった。
この企画はここで終わり、私は少し苦労しながら風呂敷を少しずつ畳んでいった。

私は仲間と長い期間この件を検証した。

私と彼は「約束を守れない」「約束を守れない事を伝えずに無言で過ごす」という思考をあまり理解できなかったが、とにかくそういう人がいることを理解した。

多くの金銭と信頼を犠牲にして、我々は

「組む前にテストが必要」

という事を教訓として得た。

この件ではもう一つ収穫があった。
それは私と、私の仲間とが、これに関してはほとんど等しい感覚を持っていると知れた事だった。

私の仲間は現在フィンランドで起業をし、私の会社と非常に良い関係で事業を作ろうとしている。

お金の価値

極貧を味わった私は、お金が無いみじめさをよく知っている。
お金の無い事業はみじめだ。

自分のお金を使ってこの胃の痛みを味わった人間にしか分からない感覚がある。

スタートアップにおいて多くの投資は失敗する。
しかし予定された痛みを起業家は敢えて取りに行かねばならない。

この3件の投資で、私は数人の友人とそこそこのお金を失い、信頼できる仲間を2人見出した。

事業において、お金の本来の価値というのはここにある。

お金があれば良い車や、家やマンションを買って人生を豊かにすることができる。
起業家はそれを放棄し、事業の可能性を買う。
場合によりそれは現金では無い形で返ってくる。(ただし、投資としては客観的には失敗)


念の為もう少し書いておくと、この様な投資の仕方は基本的に1人で出資しているスタートアップでしかできない。
起業家は仲間に給与を配らねばならないから、ある時期からは失敗を糧にしてばかりではダメになる。
これは別の話なのでまた。