矛盾をどう抱えるかという話
何か新しいことをやろうとか、既存の枠を使うのではなくて自分の力で枠そのものから作ってしまおうとか、社会とか組織とかに構造的に存在している問題を新しい手法で解決しようとかしたときに、そこには一定の力が必要になります。
どんな力かというと、色々と表現はあると思いますが、「突破力」という言い方が私の場合はふさわしいように思います。「突破力」というのは「直進力」とほぼ同じイメージがあって、つまり方向性を定めて直線的に進んでいくようなイメージです。
面で押していくような力も有ると思いますが、それはどちらかというと安定や底上げに向かう重厚な力で、上に述べたようないわゆるイノベーション(革新)を目指すときにはやっぱり突破力の方が良いと考えています。
ではどうやったら直進的に突破して行けるかというと、それは向かうべき方向が定めて、力の入れ所を点として明確にすることだろうと考えています。
しかし「何かをやろう」と思って走り出すときの動機は、往々にして概念的な場合が多く、定量的な目標に置き換えるのが難しかったり、可能であっても時間がかかったりします。何故ならば、そんなことを考える人間は、生き方としては全く効率的な事を考えていなくて、むしろ感情的に正しいであろうと思う方に動いていくからです。
つまりここに、新しいもの(こと)を生み出そうとするときに、その動機付けとなる概念的なビジョン(見通し)は、具体的に突破して行く方向性を示してはくれないという矛盾を持ちます。
何かを始めるときの大きな問題の一つはここで、イメージとしてある目標をいかに具体的に落とし込んでいくか、がとても難しいように思えます。
至近の目標を立てるのは簡単ですが、それは永続しないし突破力にもつながりません。目の前にあるからです。じゃあ、遠いところの目標が定まるまで沈思黙考していればよいのかというと、時間をかければかけるだけ瞬発力が失われて、やはり突破力が削がれるように思います。結果を継続的に出していくことは、自身や仲間のモチベーションにとっても大切なことです。
とまあこんな風に理屈は堂々巡りになるのですが、実際に新しいことを形にしていく人というのはいるもので、接合点もあるはずなんですよね。
整理する意味で書いてみましたが、話が散乱してきたので一旦ここで終了。