怠け者の決断

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最近会社の仲間や、起業をしたばかりの若者、或いは起業を志望する方と深く話す機会が多くあり、質問に受け答えする中で色々と自身についても考えさせられた。

自分がなぜそれをやっているのかを、他人に分かりやすく示すのは難しい。
でもこの「なぜ」はとても大事だ。
人は訳の分からない他人には共感しないし、力も貸してくれない。
誰も力を貸してくれなければ私は困る。起業したからには色々な人の力を借りて価値を創造せねばならないからだ。

私はなぜ起業したのか。

端的に言うと、私は怠け者だから、起業するしかなかった。

1.怠けるのは大変

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ふざけたタイトルも、見出しタグを付けてイメージ画像まで付ければそれらしく見えるから不思議。

さて、これは私の本心。
怠け者はとにかくうまく生きて行くのが大変。
世の中は真面目にコツコツ努力できる人の方が生き易いように出来ている。

私は基本的に強制されないとできないし(だからジム通いなどは長続きしない)、締め切りの有るものは締切ギリギリにやるし(今まさに締切ギリギリの作業をしているが、それすらサボってブログ書いているんですが)、丁寧に書類を作って揃えるなどははっきり言って嫌いだった。(従って今の仕事では書類は出来るだけ作らない。PDFも極力排除。会社のFAX番号は名刺から消して、記憶からも消した。)

勤め人時代の私のポリシーは「いかに楽をするか」で、書類を減らすための運用の構築や、日々の入力作業をしなくてもよくなるシステムの構築などに勤しんでいた。
口癖は

「楽をしよう」

だった。
名古屋時代私と一緒に仕事をした管理職の面々はうんざりするほどこの言葉を聞いたはず。

私は怠けても会社が給料を払ってくれるように、(やむなく)色々と努力した。

怠けるのは大変だった。

私の努力は一部は実を結び、一部は失敗した。
窓際族になる夢はついにかなわなかったが、「いかに楽をして同等の成果を得るか」という不純な努力は実は起業後かなり役に立っている。

2.やりたくない事はやりたくない

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やりたくない事はやりたくない。
当たり前の欲求だと思うが、これを乗り越えるには多大な努力が必要になる。

自分が定めたのではないルールや、指向性の違う文化に沿って生きるのは結構シンドイ。勤め人として仕事をするのに必要な能力の半分くらいは多分この能力だ。少なくとも日本においては。

私にはこの能力が無かった。無かったし、無くて良かったと思っているし、これからも得るつもりはあまり無い。その努力には向いていないし、それを貫徹できるほど私の胃腸は精神的には強くない。

私はこの方面では努力できない。

じゃあどうやって生きて行くのか?

誰かが作った会社にお世話にならない事だ。
既存の会社は誰かが経営者として責任を持っている。
彼らが責任を持っていることで従業員は権限が限られる代わりに責任も限られ、きわめて少ないリスクで豊かに生きて行けるだけの給料を安定的に受け取ることができる。
だから従業員は経営者が責任の元に下した判断に逆らえない。

それに従う能力が無く、努力するつもりもない私は、つまり自分で仕事を持つしかなかった。

妙なアプローチからここに至ったが、経営者(起業家)の多くは実はこの思考のルートを辿っているのではないか。
この種の努力ができない「怠け者」は自分で何とかするしかないのだ。

起業や経営は優れた人がやるものと思っている人が多いが、実際にやってみるとそうでは無い。
もちろん経営者として優秀かそうでないかという差は明確にあるが、経営者と従業員の能力を比較して、一律に経営者の方が優秀であるという事は無い。
能力の所在が違うのだ。経営者が必要とする能力と、従業員が必要とする能力はかなり違う。稀に両方を兼ね揃えた天才もいるから混同しがちだが、優劣に差があるのでは無くて種類に差があるだけだ。

私は少なくとも従業員としての能力が無かったから、経営者になるしかなかった。
経営者としての能力があるかどうかはこれから分かる。

起業したときに一大決心をしたわけでは無かった。そろそろ本当にやるしかないね、という感じで、予定の日がやってきてしまったよね、案外遅かったな、というくらいのものだ。肩肘を張って目を逆三角形にしないと起業に踏み込めない人は、実は起業をしたくないんじゃないか?よく考えた方が良いと思う。起業の多くは失敗するのだから、無理にやるようなものでは無い。(でもどうせやるなら早い方が良いとは思う)

3.努力をしない努力

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起業をしてからエライ努力をしたかというと、あまりしていないと思う。

もちろん色々と試練はあったし(今もあるが)、大丈夫な事よりもそうでない事の方が多い。知らねばならないことは膨大で、1日が50時間あって、寝なくていい体になりたいとよく思う。

しかし少なくともテスト前に単語帳や世界史の教科書を開くような憂鬱さは無い。

布団の中で懐中電灯の灯りを頼りに好きな本を読んだり、徹夜でゲームをしている感覚に似ている。

何せ自由!とにかく自由!

今日1日寝ていた方が全体としてプラスである、と思えば1日寝るのが立派な仕事になる。
そしてその判断が間違っていたら自分で責任を取る。

念の為に言っておくと、この責任は結構シビアだ。自分のお小遣いが減るという事では無くて、委託先に渡せるお金が減るという事になる(私の会社にはまだ労働基準法上の従業員はいない)。経営者の判断ミスは、関係者の豊かさを直接的に損なう。そしてこの判断は誰も代わってくれない。
彼らから奪った豊かさは、私が人生の中で返していくことになる。
今のところ私はこれに責任は感じるが苦痛は感じていない。何故かはうまく説明できないが、多分ピーマンが好きか嫌いかと同じような話だと思う。

漢字のテストで0点に近い点数を取って、居残りで書き取りをさせられた悪夢はここには無い。
努力をしない為の努力は起業をしてようやく実を結んだ。

しかも素晴らしいことに、対外的にはとても勤勉に見えるようで褒められすらする。

4.怠け者の決断

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40年に満たないわずかな人生の中で、それでもいくつかの決断をしたが、
最も有益な決断は「できない事を認める」決断だった。

過去においては私は自分が怠け者だとは思いたくなかった。

体が弱く運動が苦手だった私は、両親が教育熱心だったこともあり、勉強はそれなりだった。
父が医師で私は長男だったから、周囲の人は私が医師になると思っていた。
私は勤勉であらねばならなかった。

自分の能力がそこに無いと認めるのは辛いことだ。

あるとき私は自分自身を「怠け者」と思い、そしてそれをむしろ誇りに思っていることに気が付いた。
私が怠けるために考え出したツールや手法は、不純な動機故に尖っていて生産性が高いものも多かった。(と思う)
私は今後、私のこの特性を否定しないと時間をかけて決めた。

どの瞬間で変わったかは分からないが、「怠け者」と認めた時から、私の人生は新たな段階に入った。

このどうしようもない人間が、怠け者が怠け者として、しかし社会の一員としてやっていくのに、どういう手段が有るか、私は色々考えた。

答えは幼少期の記憶にあった。
大好きなゲームの中に「もも太郎電鉄」というすごろくゲームがあった。
これはもも太郎の各キャラクターが鉄道会社の社長になって、すごろくで日本全国を旅するようなゲームであったが、勉強をさぼってこのゲームで遊んだことで私は日本の主だった都市の位置とその地域の特産品を覚えた。
このゲームをやったことで松山がどこにあるかを知り、長野には蕎麦があり佐渡島には金山があったことを知った。

これを原点として私の会社は教育会社になった。
学校の勉強を教えるのではなく、受験勉強を教えるのでもなく、「子供を騙して勉強させるコンテンツ」を作る会社にすることにした。

『SQOOLは「もっと楽しい学び」をインターネットを通して紹介したいと考えている会社です。』

私の会社のウェブサイトにはこう書かれているが、これは

遊んでいると思ったら実は勉強させられている、という状況を目指している。

これは結構高度で、未だこの理念は実現していないが、私は今これを実現させるために生きている。

少年時代の私を思い出せば、これは良くできたストーリーだ。

私はある努力を放棄する事を決め、そのために別種の活動をすることにした。
これが怠け者の決断だった。

結果私は起業をし、その事業はITを使った教育「的」コンテンツの生成となった。

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