「孤独」「親切」「SNS」

2012年10月20日の記事

ブログやMixiを知ったばかりの頃は、あまり興味が無かった。
知人が楽しそうにMixiをやっていたから何となくアカウントは作っていたけど、
更新するのは年に1回くらい。

greeはよくやった!
メインコンテンツがゲームだから、私にとっては触りやすかった。

greeをやり始めてから、
「ああ、SNSは孤独商売なんだな」
と思うようになった。

強いカードを手に入れて、
「すごいですね!」
「仲間になってください!」
とかの一言コメントを書いてもらう。

社会をとてもよく風刺しているように思えた。

TwitterやFacebookは
個人の情報発信や商用的な利用、などの要素も有ると思うんだけど、
根底の部分では「孤独」が利用規模を支えているように感じる。

べつにこれは悪いことじゃない。
生きていく上で孤独感ってのは無視できないもので、
そこから逃れるために人はあらゆることをする。

自分が何者であるかを感じられなければ不安になるから、
人は人に何かを提供して、反応してもらいたい。
そして反応は出来るだけ継続して欲しいから、
何かは「親切」や「サービス」になることが多い。

SNSは薄く人と繋がることができる。
それは技術によって支えられていて、とても脆いものなんだけど
その中でも
「喜んでもらえれば嬉しい」
という感情が芽生える。

だからSNSは拡散するんだろう。

SNS上の注目度の経済的価値がより高まる、という見方が有る。
お金だけが単一で湧いてくることは無いから、
SNSの社会的認知度がより高まって、インフラの一つになりますよ、
という事なんだろう。
それは多分正しいんだけど、
そうなったときに今のような、小さな反応のやり取りは変質しないんだろうか。

例えば人は誰かに親切にしたい。
それによって自己を認識したい。
だから、人からの親切も受け入れなければならない。
親切を拒否されたらがっかりするでしょう?

でも親切を受け入れる側にも、胆力がいるよね?
期待に応えるとか、
お礼をするとか、
その親切をきちんと役に立てて反応として返す、とか。
大小によって程度は違うけど。

それと同じ感覚が、SNSにもより強く入り込んでくるんだろうか。